シンシンと雪が降りしきった二月、新潟県は26年ぶりの豪雪に見舞われた。
近年めっきり雪が積もらず、雪かきと縁遠くなっていた新潟市内だったが、町の形相は一変! 道路に融雪装置が設けられていないことも重なって、そこかしこで車の大渋滞が続発し、もろくも都市機能が麻痺した状態だった。
その隣に位置する私が暮らす新発田市も同様で、菊水酒造の駐車場は70cmを超えようかという一面の雪原状態だった。
全国ニュースにも流れたけれど、地吹雪にあっという間に呑まれた車が、郊外の農道で立ち往生した日があった。それと同じ時間帯、ボクは菊水の駐車場に埋もれていたマイカーを掘り出すのに四苦八苦しつつ、まつげを凍られようとする吹雪をぬぐいながら飯豊連邦の雪山と純白の雪原を眺め、デジャブに陥っていた。
「あれ…? この景色……どこかで見たことがあるな」
吹きすさぶ粉雪……息もできないほどの突風……回想の中、ボクの耳奥に甦ったのは、「じょんから節」の三味線の音色だった。つまり、この日の新発田は、かつて青森県の津軽地方でボクが体験した猛烈な地吹雪にそっくりだったわけだ。
「じょんから節」は、津軽三味線の民謡。普通の三味線のような「チン♪トン♪シャン♪」という女性的な音じゃなく、バチで叩くように“シバく”男勝りな曲だ。地元の青森市や弘前市では老若男女を問わず手錬れの奏者たちが年中競い合い、達人のライブを聴きながら地酒とうまい肴に舌つづみを打てる店もいくつかあった。
そんな一軒の店で出されたのが、「津軽蕎麦」だった。
一見、何の変哲もない二八系の蕎麦なのだが、ひと口飲み込んでみると、どこか違う……そうか! ツユの風味がちがうのだ。
流通というインフラが敷かれていなかった江戸時代、津軽には鰹節の文化が入りにくかった。東回り航路の廻船で大坂や江戸を経由して持ってこようにも、あまりに距離が遠い。
反対に西廻りの北前船は、肥料の鰊を北海道からドッサリ乗せていた。
さらに北海道産の昆布は当時でも高級品だったから、大坂や京都などの上方へ運ぶことで儲かる。だから、今でも関西では昆布ダシをよく使うわけだ。
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