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ぐるっとニッポン! 酒と肴のグルメエッセイ

菊水酒造に入社する前、12年ほど日本酒ジャーナリストとして全国の地酒と酒蔵をレポートしていた。そんな風来坊が“日本酒こそが天職”と意を決し、とうとう蔵元の門を叩いたわけだが、各地の美味しい酒と料理、なるほどの生活習慣、愉快な人たちとの一期一会は、私の中でとっておきの思い出になっている。おりしも「そのオイシイ話をしまい込んでいるのは、もったいないですよ!」とメトロガイドさんからお声掛けいただき、エッセイを連載させていただくことになった。


青森県地図 三味線

吹雪と蕎麦と津軽酒


シンシンと雪が降りしきった二月、新潟県は26年ぶりの豪雪に見舞われた。 近年めっきり雪が積もらず、雪かきと縁遠くなっていた新潟市内だったが、町の形相は一変! 道路に融雪装置が設けられていないことも重なって、そこかしこで車の大渋滞が続発し、もろくも都市機能が麻痺した状態だった。
その隣に位置する私が暮らす新発田市も同様で、菊水酒造の駐車場は70cmを超えようかという一面の雪原状態だった。
全国ニュースにも流れたけれど、地吹雪にあっという間に呑まれた車が、郊外の農道で立ち往生した日があった。それと同じ時間帯、ボクは菊水の駐車場に埋もれていたマイカーを掘り出すのに四苦八苦しつつ、まつげを凍られようとする吹雪をぬぐいながら飯豊連邦の雪山と純白の雪原を眺め、デジャブに陥っていた。
「あれ…? この景色……どこかで見たことがあるな」
吹きすさぶ粉雪……息もできないほどの突風……回想の中、ボクの耳奥に甦ったのは、「じょんから節」の三味線の音色だった。つまり、この日の新発田は、かつて青森県の津軽地方でボクが体験した猛烈な地吹雪にそっくりだったわけだ。
「じょんから節」は、津軽三味線の民謡。普通の三味線のような「チン♪トン♪シャン♪」という女性的な音じゃなく、バチで叩くように“シバく”男勝りな曲だ。地元の青森市や弘前市では老若男女を問わず手錬れの奏者たちが年中競い合い、達人のライブを聴きながら地酒とうまい肴に舌つづみを打てる店もいくつかあった。
そんな一軒の店で出されたのが、「津軽蕎麦」だった。
一見、何の変哲もない二八系の蕎麦なのだが、ひと口飲み込んでみると、どこか違う……そうか! ツユの風味がちがうのだ。
流通というインフラが敷かれていなかった江戸時代、津軽には鰹節の文化が入りにくかった。東回り航路の廻船で大坂や江戸を経由して持ってこようにも、あまりに距離が遠い。 反対に西廻りの北前船は、肥料の鰊を北海道からドッサリ乗せていた。 さらに北海道産の昆布は当時でも高級品だったから、大坂や京都などの上方へ運ぶことで儲かる。だから、今でも関西では昆布ダシをよく使うわけだ。


津軽酒には、サバ節!
画:玉津島 壽彦

じゃあ、当時の津軽のダシは何から取ったのか。それは、近海で獲れるサバやイワシなどの雑魚。これを長い間保存できるように燻して使うので、ダシに独特のコクと香りが生まれた。香りのイイ、甘辛い醤油ダシのツユと素朴な二八蕎麦。こいつに合うのはコクのある太い味わいの地酒で、そこそこ辛口なんだけど、その味をドッシリと甘く感じてしまうから不思議だ。ちなみに津軽では、ラーメンのダシもサバ節を使っている店が多かった。 そうだなぁ~、蕎麦ツユが津軽のおっかさんならば、酒は頑固なオヤジさんみたい。
仲むつまじい田舎夫婦のような相性の良さに、ふとボクは、目の前で演奏される津軽三味線の音色を、津軽の人たちの日常会話のように感じていた。



玉津島 壽彦 ─Profile─

1959年 香川県高松市出身。新潟県新発田市の菊水酒造株式会社勤務。過去にコピーライター、クリエイティブディレクター、マーケティングプランナーを経験した後、フリーの日本酒ジャーナリストとして全国の酒造メーカーを訪問。取材した蔵元は400社を越え、さまざまな切り口から日本酒、特に地酒の啓蒙活動に尽くす。作家・エッセイスト「高槻 新士」の横顔も持ち、2001年には筑摩書房が主催する太宰治賞で、投稿作品「銀人」が受賞候補に選考されている。

菊水酒造株式会社HP→http://www.kikusui-sake.com/home/index.asp
無冠帝HP→http://www.mukantei.com/home/index.html


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